初めの数日は安心感でいっぱい
休職までの最後の出勤日は、「今日を乗り切ったら休める」そんな気持ちでいっぱいで、いつもよりも少し張り切って仕事できたように思います。
私は、丁寧に仕事を引き継ぎ、打ち合わせの会議でも動悸もせずに安定して終了することができました。
勤務が終わると、職場の上司や同僚にひとりひとり謝罪と挨拶をしてまわりました。
「ゆっくり休んでください」というようなことを言われたと思いますが、あまり記憶に残っていません。
職場から外に出ると、この数ヶ月で一番すっきりとしていて、空気がおいしかったです。
初めて景色に色がついたようなそんな印象を受けました。
自宅に着くと、妻から「おつかれさまでした」と言われ、とてもホッとしました。
その日から数日、安心して寝たいときに寝たいだけ寝る生活をしました。
とはいえ、やはり朝は辛いこともありましたが、古いドラマや映画を観て、穏やかに過ごしていました。
社会からの孤立感
そんな生活を1週間ほど続けていると、なんとなく「これで良かったんだよな?」そんなことを考えるようになりました。
そして、昼間自宅にいることに違和感を感じることが多くなりました。
とはいえ、外に出る気分にはなれませんでした。
オフィス街にある私の自宅の外を見ると、多くのビジネスマンが見えました。
「あの人たちはみんな、今日も目的を達成するために、外回りをしてるんだよな。」
「あのトラックは、遠くから荷物を運んできて、この近くの配送センターまで持っていくのか」
「そこからは、それぞれのお客のもとに荷物を運ぶ小さなトラックが出ていくのか。」
いま、社会のしくみの中で、いろんな人や物が動いているんだなと感じました。
それに比べて、今の私はどうだろう。
パソコンで言えば、電源は入っているけれど、どのネットワークにも属していない状態のようなもので、社会というものから隔離された存在のように感じました。
自分はなぜこうなった
自分が今の状況になった原因はなんだろう。
「引き継ぎをまともに受けられなかったから?」「変化への適用能力が低かったから?」「努力が足りなかったから?」「甘えていたから?」
そんなことを考えていました。
逆に、私以外の人間があの立場なら、できたのだろうか。
例えば、「あの人ならできたのかな?」「きっとあの人なら、それなりにはやり過ごせただろうな」などと考えはじめました。
仕事ができるだろう人と比べることが多くなりました。
自分が悪かったのか、それとも誰でも無理だったのか、それを確かめたかったのだと思います。
罪悪感が膨れ上がる
いろんなことを考えましたが、どんな考え方をしても、最終的には自分が悪いという結論が出てしまいました。
結果、任された仕事ができなかった以上、それしか結果としてはないのです。
そんな自分が、職場にそれを押し付けて、休んでいるわけですから、それはもう罪悪感の塊のようになりました。
そして、家庭にも迷惑をかけているわけで、このまま私が回復できなければ、「子供の習い事をやめさせなければならないかもしれない」「服なども買ってやれないし、おもちゃすら買ってやれなくなってしまう」それら全部が私のせいなのです。
しばらくのあいだ、口かずが減りました。
子供たちの顔を見ていると、そんなわけにはいかないと思いました。
私のせいで、この子たちの学ぶ権利や遊ぶ権利を奪うことなどできないと思えました。
アフィリエイトで収入を得ていく努力をしようと決めたのだから、少しずつでもやるしかないだろうと改めて認識することができたのでした。
もし、私がここで罪悪感に押しつぶされていたとしたら、回復するまでに更に多くの時間がかかったのではないかと思います。